日本最古、最高の機屋さん★紋屋井関
京裳苑に毎年レギュラーで出品して頂いているのが
紋屋井関さん、
京都、西陣にあって400年以上も続く超老舗の帯メーカーさんです。
「御寮織」(ごりょうおり)の名でも呼ばれる帯は
代々天皇家、公家、将軍たちの装束を承ってきた機屋の証です。
代表的な紋屋伊関さんの帯、有職文様 鳳凰文です。
有職(ゆうそく)文様とは 公家の装束や調度などに使われた伝統文様で
家柄によって特有の文様を使う風習がありました。
流石に格調高い柄ばかりです!
黒留袖、色留袖、訪問着、付け下げ、色無地などを着られる
フォーマルな席、パーティー、お茶会などに最高の帯です。
社長の着てはる藤娘きぬたやさんの訪問着にこの帯がピッタリですよ! と
紋屋井関の山本さん。
なんと、タンポポの柄でした。
斬新な新しい柄にも関わらずプラチナと銀箔を使った重厚さが漂う逸品!
色、柄だけでなく、
藤娘きぬたやの総絞りのボリューム感、加工の重さのバランスからしても
紋屋井関の帯は社員達からも絶賛でした!
手で触れていただくとすぐ分かるのですが、
とにかく 軽い!
極細の最高品質の糸を使い、羽衣のようにしなやかで軽い帯です。
そして なんと、斜めバイヤスに伸びるんです!!
紋屋伊関さんの語り部、井戸元さんの説明にも熱が入ります。
「帯は人間の丸い身体に巻きつけるので
フィット感が圧倒的に違います!」
天皇家や公家に長く愛されてきたのはこの技術の確かさ、
他の機屋には追随を許さないモノ作りの賜物なのです。
御寮織は全て手織りであることは勿論ですが、
何十年も手織り一筋に修練した匠でなくては織れません!
日本の織物の歴史は
平安京誕生以来、宮廷織物師たちによって始まりました。
井関家の四代目が紋織技術ーー文様を織り出す技術を伝授し、
西陣織が始まったと伝えられています。
室町時代1571年には大舎人座 ( おおとねりざ )と言う協同組合のような物を組織されました。
その中でも井関家は 「 御寮織司 」(ごりょうおりつかさ)6家の一つに任命され、
公家や天皇家、将軍や大名らの衣装を江戸末期まで織り続けました。
明治に入り、将軍家は無くなり天皇家は東京へ移り御寮織司の制度もなくなりましたが、
紋屋井関は西陣に残り伝統を引き継いでいます。
現在まで改姓も断家もせず続いているのは井関家のみです。
一昨年6月ちょうど京裳苑が終わった直後、紋屋井関さんの隣の銭湯から出火しました。
昔からの町屋が密集する狭い路地へは 消防も思うように入れず、
瞬く間に燃え広がり井関さんも燃えてしまいました。
そのニュースを聞いた時私は鹿児島で大島紬の仕入れに行っていました。
大変な事になったと情報を集めました。
幸いなことにお客さまに買って頂いた商品は前日に当店へ到着していました。
そして井関さんの在庫商品もかなり問屋さんなどへ出払っていて助かったと聞き
ホッとしました。
しかし 何百年も積み上げた貴重な意匠や資料は相当な打撃を受けたようです。
絹糸は煙りが掛かっただけでもダメになってしまいます。
応仁の乱も明治維新も世界大戦も幾多の困難を400年にも渡って乗り越えて来た井関さん!
きっときっと立ち直って貰えると信じていました!
商売人に火事は火が入ると言って以前より盛んになるとも言われます。
そして今年、力強く復活を遂げた紋屋井関さんが掲げたのは
「 紋屋井関にしか作れない逸品に拘る物作り」
最高の素材を贅沢に使い、
熟練した技術と厳しい目を持つ工藝士によって特に吟味された集大成の帯。
超薄くて軽い、しなやか!
見方によって色柄が変わる不思議な織りです。
礼装だけでなく略礼装やおしゃれにも締められます。
今年も紋屋井関さんの山本さんが京裳苑の会場へ3日間来場して
物作りにかける思いを伝え、
ピッタリの帯選びの提案をして下さいます。
合わせたい着物が有る方は会場へお持ちくだされば着付けして合わせることも出来ます。
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